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アニメ放浪息子最終話を終えて-エクストリーム原作厨の地平より愛をこめて-
 終わりましたね、アニメ版放浪息子。
 地震の影響により10話と11話を編集した「短縮版」が放映されたりと、ちょっとしたトラブルはありつつも、無事放映は終わったようです。
 放映後の評価を見ても、比較的高評価のようです(やらおん基準)。無論私はやらおん基準なんぞこれっぽっちも信用してないわけですが、それを差し引いても、エクストリーム原作厨の私からしたら、決してよい最終回だとは思えませんでしたし、それどころか、むしろ良い作品だったかどうかも怪しいところです。
 その辺のことをつらづらと書いてみようかと、思います。原作のネタバレ等々も含むので、ネタバレが駄目な人はご遠慮ください。
【最終話感想】
「オチとしての最終話の概説」だけを聞かされたら、多分そんなに悪くないと思います。にとりんが自分の性(男性性)を認めるために一歩踏み出した(ラストの舞台に出る演出)というところも、多分、あの1シーンだけ切り取って出されれば、ちょっと唸るところはあるかかもしれません。ただ、そこに至るまでの課程はちょっと雑だったし、ノイズも多かったなあ、と。特に、最終話のフミヤ、何しに来たのかよく分からない。
 にとりんの周りの話をしておくと、まずあんなちゃんは安定しましたね。言いなおすところもばっちり。それと、瀬谷くん声かっこよすぎだろ、と思ってたら、そうだよねメイド喫茶やるんだったよね、かっこよすぎたよね、と思ったりしましたね。
 ともあれ、「オチとしての最終話の概説」だけは、そんなに悪くない気はします。無論、それが「放浪息子」として優れてたどうかは、全くの別問題のわけですが。

【小学生編カットについて】
 やっぱり小学生編をカットしたのは痛かったですね。小学生編で培われた関係を置き去りにして中学生編を始めるもんだから、各キャラの造形に不備ができて回想やオリジナルのエピソードを入れて補完しなければならなかったり、それでも足りなくて行動に不可解な点が生じたり(お姉ちゃんとか)。無論、アニメとしてまとめるためには仕方のないことではあるのかもしれませんが、原作既読者からしたら煮え湯を飲まされる様な苦痛でした。その行動のための根拠が小学生編の頃にあるはずなのに、それをカットした都合があるというか。

【各キャラの異常行動】
 前述の通り、各キャラの行動原理が不明瞭になったせいで、それぞれの人物の行動がよく分からなくなってしまったという感じがあります。特に千葉さん。千葉さんのポジションは、高槻さんとにとりんの二人の女性性・男性性に対する外部装置とでもいったところですが、アニメではその役割を発揮しきれていないというか、原作の千葉さんのトリッキーな部分、悪く言えば「駄目なところ」のみが抽出された感があるというか(具体的には先輩への挨拶のところとか)。あとなんで倒錯劇をあのタイミングで提案したのか。これも小学生編カットによる弊害ですね。
 お姉ちゃんも、なんでにとりんに対してあんなに喧嘩腰なのか、八つ当たりするのかよく分からない感じがすると思います。お姉ちゃん→瀬谷くん→にとりんのラインの話は小学生編の話なので(特に2巻)、それがない故に、お姉ちゃんがにとりんにたいして一方的にいじわるしてるように見えるんですね。無論それについてそちらこちらでフォローしてることはしてるんですが、当然浅くなるし原作からしたらお姉ちゃんに魅力や破壊力は半減してるわけで。

【放浪息子として】
 そもそも放浪息子という物語として、このアニメの出来はどうなのか、っていう部分があります。結局、アニメ放浪息子は「にとりんの物語」として完結してしまっていて、それ以外の人物に対してはちょっと無頓着だったよなあ、というか。にとりんと千葉さんの関係性はひょっとしたら完結してるのかもしれないけど、高槻さんはおいてきぼりだし、関係性の完結は必要ないですし(参考)。
 それに放浪息子は群像劇であり、「誰かと誰か」に焦点をあてることは出来ても、「誰かのための物語」にはなり得ないわけで。例えば、みつどもえの主人公ふたばに絞ってふたばの物語とすることはみつどもえの面白さをぶち壊すことになるわけで。それをやってしまったのがアニメ版放浪息子であるような気がしてなりません。宣伝文句であった、「男の子は、女の子になりたかった」「女の子は、男の子になりたかった」は、多分前者についてはある程度達成されてるのかもしれないですけど、後者に関してはガンスルーだったわけで、何だこの詐欺、という感じが。2話辺りまでは、にとりんと高槻さんの物語として進めるのかと思ってましたが(にとりんの「うん」とか)、結局、にとりんのためだけの物語になってしまったという(参考
 ご存じのとおり、放浪息子は「みんなの」「ぼくたちの」物語であり、にとりんの物語でもなければ、高槻さんの物語でも、千葉さんの物語でもないというのが、放浪息子という世界であるはずで。というか、この放浪息子のルールを破ってしまった以上、どんなに出来がよくても、このアニメに対して「放浪息子」というタイトルをつけて良いものかどうかも疑問です。
 ちらりとfavlogを眺めてみたら、「にとりんのための物語の割には登場人物が多すぎて、しかもにとりんのための舞台装置として機能しきれてない」というのが見られて、つまり、中途半端だったんだなあ、と思いました。参考:suzuchiuさんのpostよりその1 その2
 
 あと。
 比較対象として青い花を持ちだすのはやめときましょう。相手が悪すぎる。向こうは巻数の少なさというアドバンテージがあり、しかも、物語として成り立っていた部分でキリよく切り上げ、"敷居化"する直前で〆ると言うラストであり、あのオリジナルエピソードを原作に入れても問題ないという恐ろしいレベルだったので。


 追記:やらおんでしったんだけどお! 文化祭にぃ! ミドリちゃんとぉ! キクチナナコさんがぁ! 兼田先生にぃ! 挨拶ぅ!!!!
 http://zyousiki.tumblr.com/post/4236960250
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テーマ:放浪息子 - ジャンル:アニメ・コミック

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